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運命の流れの中に柱を立てる、それが人生なのだ。
へこたれてもジタバタしても流されず思い描いた世界を映画に描き尽くした時、
光に光が加わり桃が桃の香を発する。
若い桃熟した桃、色んな桃がめでたいです、桃まつり。
大石三知子(脚本家)
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「企画、宣伝、上映まで手がけることに敬意を表して」
僕は目の前で泣いている女性がいたら必ず
それ以上に一緒に泣くか、怒鳴りつけるか、笑倒すか、その場から逃げるかの四つの選択肢から行動を選ぶ。
超個人的かつ複合的な感情に対してどうして良いかわからなくなるからだ。
今回の桃まつりはそんなエネルギーに溢れている。
女性監督と『なみだ』…考えただけでも恐ろしい。
奥野瑛太(俳優)
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『桃まつり』は20年は続いて欲しいです。
…収穫、月夜のバニー、FALLING…どれも姿かたちがいま補足しきれず、
しかし真に鮮烈な光速の彗星でした。
今年は“なみだ”。
最後の8mm世代・小口容子の参戦。
桃、は果実などではなく、瞬きの火の玉を指すと思います。
木村文洋(映画監督『愛のゆくえ(仮)』『へばの』)
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表現したいという要求は誰も持っている。
しかし、それを表現しきることができる人はあまりいない。
どんな衝動に突き動かされ、撮られた映像なのだろう?
ぜひ、観てみたい。
佐渡島庸平(漫画『宇宙兄弟』編集者/(株)コルク代表取締役社長)
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桃の皆さん!最後は強引に頑張ってください!
なんか言ってきたら変態扱いすればいいから!
澤田サンダー(ヒカリエイガ参加、横浜市民)
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なんと桃まつりは、みずからについて<短編映画を自主製作・配給する「団体」>だ
と言い張っているらしい。真っ赤な嘘だ。年ごとにメンバーが入れ替わっているのに、
それで団体もないだろう。そんな殊勝な素振りに失笑してしまう。
ではなぜ入れ替わるのか。これをステップにして、多くは商業映画の監督やスタッフに転身するからだ。
この「団体」の鮮やかな矛盾は、みずからを維持することが困難なほど次々に外部へと才能を供給し、
みな売れっ子になってしまって帰ってこないということにある。
そしてこの矛盾こそが桃まつりの確かな実績をあらわしているのだ。
冨永昌敬(映画監督)
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「桃まつり」の女性はこわい
わたしのように人生にも映画にも「すれっからし」になると、桃まつり映画のような、
新鮮な映画を見て、リフレッシュする必要がある。
一気に8本見て、それぞれに面白かったが、あらためて女性はこわいと思った。
唯一の不満は登場する男性が女性陣に比べて、いささかだらしなく見えることである。
内藤誠(映画監督)
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私は女だから、女の野望や吐露をみると同族嫌悪やら恐怖やらでざらざらした気持ちになる。
でも今年も観に行っちゃうんだろうなぁ、怖いものみたさか。
西山真来(女優『おだやかな日常』『へばの』)
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よくちまたで「あの人は女が撮れる監督だね」って聞く。
それは女性特有の美しさ、魅力を掴んでいるということなのだろうが、正直よく判らない。
でもなんとなく男性監督に対して言う気もする。桃まつりは違う。
「女が撮る女」の映画ばかりだ。その感性や監督のまなざしにいつも驚くばかりだ。
いくつになっても女の子はわからない。べんきょうします!
松尾健太(映画監督/ドラマ『スイッチガール』演出)
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インディペンデント映画ブーム(?)を支えているのは、
カントクそれぞれのコセイとやらでは決してなく、、
製作体制問わずなんでもござれの撮照録ほか
或いは上映活動などなどに携わるめっちゃタフなキーマン・キーウーマンたちです。
今年もかれらのヤバイ手仕事を堪能できる季節がやってきましたね!
エンドクレジットはぜひ最後まで。
三宅唱(映画監督)
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「桃まつり」に結集する女性監督たちの多彩な仕事には驚かされる。
彼女たちの個性豊かな想像力/創造力のエネルギーは
必ずや日本映画の明日を切り拓くだろう!
村山匡一郎(映画評論家)